マーケティングの「ペルソナ」に意味はあるか?
集客=マーケティング戦略の話題において「ペルソナ」という概念はよく使われます。
その会社の商品を売りたいターゲットはどんな人物か?
これを性別や年齢、職歴や学歴や趣味嗜好、年収や出身地などなど細部に渡って設定。ペルソナの自体はラテン語で、つづりは「persona」。英語で言う「パーソナル(個人)」ですね。
《例えばのペルソナ設定》
「35歳の会社員、女性。自宅は神奈川県の麻生区で一人暮らし。新百合ヶ丘に在住。飲食業(ファーストフード)に勤めて店長とスーパーバイザーを兼任。年収は〜家族構成は〜」という形でだいぶ細かく設定していきます。
実際にWEBサイトを制作する際や、原稿を書く際、あるいは何らかの商品を作る場合もこの「ペルソナ」はひとつの指標になる。
定義としてもわかりやすいゆえ、どのような業態にも用いられるんですね。
蔓延する「ペルソナ至上主義」
ただし、気をつけたいのは「ペルソナ至上主義のマーケター」に遭遇した場合。
これは結構あるパターンで、商品やサービスを売る際に「ペルソナがきちんと設定されていれば売れる・されてなければ売れない」というふうに考える風潮があります。結構ブームかもしれません、しかも無責任に語れるので。
しかし商品を売る場合、ペルソナは「あくまでひとつの指標であり、なんならなくても売れるものは売れる」という事実を覚えておきましょう。ペルソナを設定すること自体が無意味のケースも普通にあるんですよ。
そのペルソナのクローンは存在しない
ペルソナで意気揚々と語られる対象は、例えばこんなものです。
・28歳
・男性
・アクション映画が好き
・留学経験あり
・リーダーシップ素養あり
・将来は起業志望
・ビジネス本の購読は年に10冊ほど
などなど、細かく「そのペルソナ像」を固めていきます。
しかし、疑問も同時にわきますね。その28歳で留学経験ありのアクション映画好きとやらの男性の「クローン」が、世の中にいったいどれだけいるのかと。
同じ人間など、誰一人としていませんよね。あなたと同じ映画が好きな人はいても、あくまでそれは側面的なもの。本当は悲しい映画も観るし、アニメも好きかもしれません。そしてそれぞれの映画に対する見方や感想も全く異なるでしょう。ちがう人間で、異なる人生を歩んできたはずです。
側面的にも内面的も、同一のカテゴリに入れていい人間などそうそういません。LGBTや個への注目がこれだけ高まっているなかで「ペルソナ」という枠でユーザーを定義出来ることはほとんどないんです。
この時点で、ペルソナ傾倒の一本足打法は崩壊しています。
結局は「認知度」だったりする現実
テレビCMや、WEB上の有料広告、SNSでの話題などを通じて商品の認知度を上げることで、ユーザーは「よく見るから使ってみよう」という行動に出ます。
「目立つ商品にもペルソナがガッチリ設定されているよ!」というご意見はもっともですが、それであればなおさら、本記事で警鐘を鳴らしている「ペルソナだけ重視する会社」がいかに説得力に欠けるかがわかりますよね。
お金を使った広告だけが意味ある、ということではなく、SEOをかけたブログで検索上の露出を常に高めたり、SNSの毎日の投稿、LINEの活用、YouTube、あまり予算はかけれずともウェブ広告を打っていく、あるいは新聞の折込みやチラシ作成も良いでしょう。そしてこれだけやっても、結果は出ない世界。ペルソナだけ頑張る、ブランディングだけ頑張るのがいかに片手落ちかはわかるはずです。
制作会社が自社のデザインを売りたいだけの意味のないブランディング、エモさだけに傾倒するマーケティングは顧客には百害あって一利なしなんですね。
現在「エモさ」がマーケティングで語られすぎている
「たった1人のためのサービスを」
現代はそんな、数値化しないで済む定義を元に語るマーケティング理論が横行しています。「ペルソナが最も重要」「ペルソナさえ抑えておけば」というような論調には異議を唱えざるを得ません。競合調査のほうがよっぽど重要かつ現実的な行動です。
ターゲットを想定して何かを作るという「ストーリー」は、「エモさ」があり、聞いている方もイメージがつきやすいものです。また説明する側も数値的な根拠を示す必要もないのでラクなんですね。正解のない、想像上のターゲットについて語るわけですから。集客戦略においてエモさ比重が高い話は、その話し手の想像・妄想です。
実際に私たちがお金を出して買う自分のための商品は「認知度」によって購買されていることは忘れてはなりません。
また、エモさもよりもストーリーよりも、現実的に自分に有益な商品やサービスを選ぶ際に私たちは「価格」「お届け日数」などのシビアな面でも検討していたりします。アマゾンや楽天で買い物するとき、心当たりがある人もいますよね。
そういった機能面と、エモさの情緒面、さらには認知度などの広報面はいわば混在しており、我々は実にわがままに様々な脳内を右往左往しながら、WEBでは「いつポチるか」店頭では「レジに持っていくかどうか」を決めているのです。
「ペルソナが最も大事」だとか「信用をどのように得るかが全て」というだけの責任回避のふんわり論調は意味がないのです。それは底の浅い話、マーケティングに詳しくない人の話です、気をつけてください。
ウソのない会社を選ぶ
もし、発注側であるあなたが、マーケターやWEB制作会社と話をする際に、マーケティング的に「エモすぎる話に傾倒しているな」と思ったら、流されないように注意。
なぜなら、情緒的な話というのは数値化も視覚化も効果検証もしにくく、うやむやになることで制作会社の「思うつぼ」になる可能性があるから。言わずもがな、マーケティングの会社やWEB制作会社は「効果検証」を嫌います。結果が出てればいいのですが、そうそう簡単に結果など出ないのですから。
なんか集客という大事な話の際に情緒的な話が多いとか、
どうもフワッととしたブランディングの話ばかりだったり、
やたら出来すぎている成功例の話を聞かされていると気づいたら。
ドライな質問をしてみてください。
「どのように認知度を上げるのか?」
「そのための予算はいくら必要か?」
「効果検証はどのようにするのか?」
このような現実的な話にして、その会社がいったいどこまで「正直」なのかを確かめましょう。
実際には、認知度を上げるのもコンバージョン(問合せや成約)を取るのも、神のみぞ知るのが本当です。CTAひとつ取ってもやってみなければわかりません。そこに誰も確約はできないはずで、未来のことは誰にもわかりません。
御社にやって来た営業が「エモい話ばかりするのか」「認知度や購買数を上げるという未知の挑戦に無責任に『できます』と言うのか」を、把握しておきましょう。
「できるかわからないが、一緒にやってみましょう」
1周してこれくらいが言える会社のほうが、実は信頼できると思います。頼りないかもしれませんが、それが事実なのですから。